『ノートルダムの鐘』と主題歌「Someday」の考察 その3

※本文はディズニー映画『ノートルダムの鐘』、及び主題歌「Someday(サムデイ)」についての考察です。
ストーリーの詳細に触れているので、まだ映画を見ていない方はご注意ください。
また、一番下にあるMVと歌詞を見てから記事を読まれると、よりお楽しみいただけます。

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まとめ

これまで2回に渡り、『ノートルダムの鐘』に込められたメッセージを主題歌「Someday」から読み取ってきましたが、そのまとめとして、今回は映画本編を中心に見ていき、この映画のテーマを探っていきたいと思います。

1、カジモドとフロロー・エスメラルダの違い

カジモドは神の家である大聖堂で育ちますが、実は神に祈っているシーンは一度もありません。

フロローが、醜い姿のお前にとってここは聖域だと言っても、「僕の聖域…」と肩を落とし、人々が暮らす外の世界に出たいと歌う「僕の願い」へと続きます。

ここでもカジモドは神にその実現を祈っているわけではなく、自分の希望を歌っているだけです。

それとは対照的に、神に祈る人が二人描かれています。

一人は、フロロー。
エスメラルダの魔の魅力から守りたまえと歌う「罪の炎」がそれです。

二人目はエスメラルダ。
前回も触れた、私の仲間をお救いくださいと歌う「ゴッド・ヘルプ」です。

フロローとエスメラルダに共通しているのは、その願いが聞き届けられていないということです。

フロローは最後まで欲望に身を焦がし、そのせいで命を落とします。
エスメラルダの願いも、捕らえられた“ジプシー”は最後に解放されますが、それは「寄るべなき者、貧しき者をお救いください」という祈りの成就とは言えないでしょう。

対して、カジモドはどうでしょうか。

彼は外に出たいと歌った後、実際に行動して悲願を果たしています
もちろんそのときは大変な目に遭いますが、それでも最後にはまた一歩を踏み出し、最終的に本当に願いを実現させました。

ここからもこの映画に通底する、私たち一人ひとりが行動を起こすことが大切だ、というメッセージが読み取れるのではないでしょうか。

2、「Soon / すぐに」に込められた思い

前回の記事で、エスメラルダ・バージョンの「Someday」を見ました。私はこのバージョンと完成版で、ニュアンスが変わっていると思う歌詞があります。
それは、最後の「すぐに / Soon」です。

迫害されている“ジプシー”のエスメラルダが素晴らしい世界の到来を願って歌う「Someday」では、あくまでもすぐに訪れてほしいという祈りでした。

実際このシーンには、キリストを抱いたマリア像にエスメラルダが祈る絵が使われていましたね。

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では、完成版の「Someday」はどうでしょうか?

直前までは、希望を託されたデリアスの熱唱と、それに引きずられて絶望していたジェイミーも熱く歌うという、この曲一番の盛り上がりをみせています。
(希望のデリアスと絶望のジェイミーの対比は、前回の記事で詳しく解説しています)

しかしその直後の「Soon / すぐに」は、それまでの盛り上がりが夢だったかのように、伴奏すら無くなった中で静かに歌われます。

理想の世界を夢見た熱唱の直後の静けさは、一気に現実に引き戻されたような感覚を覚えます。

それでもその後に続く「One day Someday Soon / いつか 遠くない日に」には、最初の絶望の中で見る理想とも、中盤以降の熱唱のときとも違う、ささやかな希望を感じるのです。

MVでは一度目の「Soon / すぐに」の後に、カジモドが外に出たいと歌う「僕の願い」のラストシーンが使われています。

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映画本編で、カジモドがこの歌の後、実際に自分で行動を起こして念願の外に出ることに成功していることを考えると、このシーンの挿入は、そうなるように行動していこうというメッセージであり、決意表明なのかもしれません。

その1で見たように、祈りの対象が人智を超えた存在ではなく「月」であることからも、その到来をただ待っているだけではない姿勢が伺えますしね。

3、「Someday」が応えているもの

映画の序盤で、私の仲間をお救いくださいと歌う「ゴッド・ヘルプ」があり、その願いが聞き届けられていないことは、既に見ました。

では、製作者はこの祈りに何の回答も用意しなかったのでしょうか?

私は、その答えこそが「Someday」ではないかと思うのです。

映画本編は多くの困難を乗り越えて、ハッピーエンドを迎えます。

ところがそのエンディングでは、またも理想の世界の到来を無邪気には信じられないという、「Someday」が流れます。

しかし、一筋の希望を胸に、そうなるように私たちが行動していこうと締めくくる「Someday」は、酷(むご)すぎるこの世を生き抜く一つの方法であり、それこそが「ゴッド・ヘルプ」への答えなのではないでしょうか。

元々「Someday」はエスメラルダが歌っていただけに、この2曲に繋がりを感じるのも、ある意味当然なのかもしれません。

4、色彩の無い鐘楼

カジモドが、エスメラルダが僕に恋をする夢をみようと歌う「天使が僕に」の中の一節、「暗く冷たい鐘楼」が表している通り、鐘楼の中に色彩は無く、それは「Someday」のMVの世界観とも一致しています。
(大聖堂の大部分、ひいてはこの映画の基本的な色調でもあります)

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しかしその中にも一つだけ、例外の場所があるのです。

それは、カジモドの部屋
そこには、カジモドが作った街の模型やガラスのモビールがあり、それらが暗い鐘楼にささやかな明るさをもたらしています。

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この場面の直前のシーンはなんでしょうか?
そうです。ここで何度も取り上げている、エスメラルダが「ゴッド・ヘルプ」を歌うシーンです。

エスメラルダはこの曲で、神に「この世界に希望(光や色彩)を運んでほしい」と祈っています。
その直後にこのカジモドの部屋を訪れ、暗い世界にカジモドが自分の手で光や色彩を取り入れているのを目の当たりにしたわけです。だからこそ、「あなたってすばらしいわ」とあれだけ感嘆しているのでしょう。

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カジモドはその後も、鐘楼から見える夕陽をエスメラルダに見せていますし、序盤の「僕の願い」でも、顔に水を浴びて美しい光を作り出してますよね。

カジモド光

夕日

はっきりと説明されてはいませんが、この映画でカジモドは、暗い世界に光や色彩を作り出せる唯一の人として描かれているのです。

「Someday」のMVでこれと同じ役割を担っているのが、その2でご紹介した、赤い服のデリアスですね^ ^

エスメラルダはカジモドに感嘆した後、「私はお金をもらって踊るだけ」と自嘲気味に言います。しかしそれを聞いたカジモドは、「すてきな踊りだ」と控え目ながらも感動した口調で称えています。
きっとカジモドにとっては、エスメラルダの踊りこそが希望(明るいもの)だったのでしょう。

5、「聖域」のもう一つの側面

フロローが大聖堂を牢獄として扱っているのを除くと、それ以外の「聖域」という言葉が使われるときには共通する点があります。
それは、自分以外の誰かを守るときに使っているということです。

オープニングではカジモドのお母さんがカジモドを守るために使いますし、フィーバスが使ったのもフロローがエスメラルダを捕えようとしたときですね。

そんな守られる存在だったからこそ、あれだけカジモドは外に出たがっていたのでしょう。

そう考えたとき、この映画は20年間守られ続けてきたカジモドが、自分の力で生きているエスメラルダと出会い、多くの困難に遭遇しながら、人生を自分の手で切り拓いていく成長の物語、という側面も持っていることがわかります。

だから、憧れにも似たカジモドのエスメラルダへの恋は実らなかったのかもしれません。

守られる立場だったカジモドが守る立場へと成長した決定的瞬間でもあったからこそ、エスメラルダを火あぶりの刑から救ったカジモドが「聖域だ!」と言う台詞が、3回も繰り返されているのでしょう。

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6、フロローとカジモドを分けたもの

オープニングテーマ「ノートルダムの鐘」の歌詞で、「誰がモンスターで 誰が心ある人間か」という一節があります。

これに対応するのが、ラストのカジモドが大聖堂から出てきたときに歌われる曲です。

ここでも、「誰がモンスターで 誰が心ある人間か」と繰り返されています。

実は、原文の英語では最初と最後で歌詞が変えられています

オープニングでは「Who is the monster and who is the man」と訳通りなのですが、ラストシーンでは「What makes a monster and what makes a man / 何が人をモンスターにし、何が心ある人間にしたのか」となっているのです。

モンスターはフロローを、心ある人間がカジモドを指しているのは間違いないですが、彼ら二人をモンスターと心ある人間に分けたものは、一体何でしょうか?

私は、エスメラルダへの恋心だと思います。

共にその想いが実らなかった二人ですが、彼女を我が物にと願ったフロローはその欲望故にモンスターになり、彼女を敬愛し守ったカジモドは人間として成長しました。

それはカジモドが純粋な恋心を歌った「天使が僕に」から、フロローが邪まな欲望を歌う「罪の炎」へと繋がっているところにも描かれています。

この映画のメッセージに世の中がどうなるかは人間次第だ、というのがあることは何度も見てきましたが、皆が同じように苦しい状況にある中でどう行動するかが、その人自身の幸せにも繋がる、ということなのでしょうか。

深いですね。。今さらですが(笑)。

さて次回では、なぜ公開から15年以上経った今、『ノートルダムの鐘』を取り上げたのかの理由を説明したいと思います。
こちらもぜひぜひ、お付き合いください^ ^

(これは2010年2月に公開した記事を、加筆修正したものです)

「Someday」

Someday
When we are wiser
When the world’s older
When we have learned
I pray
Someday we may yet live
To live and let live

Someday
Life will be fairer
Need will be rarer
And greed will not pay
Godspeed
This bright millennium
On its way
Let it come
Someday

Someday
Our fight will be won then
We’ll stand in the sun then
That bright afternoon
‘Till then
On days when the sun is gone
We’ll hang on
Wish upon the moon

There are some days dark and bitter
Seems we haven’t got a prayer
But a prayer for something better
Is the one thing we all share

Someday
When we are wiser
When the world’s older
When we have learned
I pray
Someday we may yet live
To live and let live

Someday
Life will be fairer
Need will be rarer
And greed will not pay
Godspeed
This bright millennium
Let it come
Wish upon the moon

One day Someday

Soon

いつの日か
人は賢くなり
世界は経験を重ね
皆が思慮深くなる
私は祈る
お互いに尊重し合う
まだ私たちの生きぬ「いつか」が訪れることを

いつの日か
暮らしは公平になり
世の中は満ち足りて
人は欲望に振り回されなくなる
どうか今 世界が
そんな素晴らしい時代へと向かい
いつの日か
私たちのもとに
訪れますように

いつの日か
この闘いは終わりを告げ
私たちは太陽のもとに 誇らかに立つ
輝く陽の光を 一身に浴びて
そのときまで
陽の照らぬ日々の中でも
耐え抜こう
夜空の月に 願いをかけて

時には 暗くて辛い日々もある
祈りの消え去ったような日々が
それでも 良くなるようにと願う祈りは
私たち皆が 確かに分かち合えること

いつの日か
人は賢くなり
世界は経験を重ね
皆が思慮深くなる
私は祈る
お互いに尊重し合う
まだ私たちの生きぬ「いつか」が訪れることを

いつの日か
暮らしは公平になり
世の中は満ち足りて
人は欲望に振り回されなくなる
世界が 今
そんな素晴らしい時代へと向かい
私たちのもとに訪れるよう
夜空の月に 願いをかける

いつか

遠くない日に

(私訳)

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