『ノートルダムの鐘』と主題歌「Someday」の考察 その1

※本文はディズニー映画『ノートルダムの鐘』、及び主題歌「Someday(サムデイ)」についての考察です。
ストーリーの詳細に触れているので、まだ映画を見ていない方はご注意ください。
また、一番下にあるMVと歌詞を見てから記事を読まれると、よりお楽しみいただけます。

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『ノートルダムの鐘』に込められたメッセージの解釈

『ノートルダムの鐘』ストーリー
舞台は、15世紀のパリ。そこにあるノートルダム大聖堂の鐘楼にひっそりと暮らす鐘衝き男・カジモドは、容姿こそ醜いが、優しく純粋な心を持った青年。彼は、育ての親・フロローの言いつけで外に出る事を許されず、友人は3人組の石像だけだった。そんなある日、町の祭で楽しく盛り上がる人々を見て、我慢出来なくなったカジモドは大聖堂を飛び出し、そこで美しいジプシーの踊り子・エスメラルダと出会う。
(参考:Wikipedia「ノートルダムの鐘」)

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映画『ノートルダムの鐘』は、ヨーロッパにおいて長く続く“ジプシー”への迫害を描いています。
映画はハッピーエンドですが、実際の“ジプシー”への迫害は続き、ナチス政権下でもホロコーストの対象となり、その大多数が殺されています。
(詳細はWikipedia「ロマ」の項目参照)

その違いを認識したときに、ここで歌われているような「世界が経験を積んで賢くなり、命が平等になる日」は、「いつか(Someday)」であっても訪れないのではと痛感し、でもだからこそこの曲に、この映画に、製作した人たちは多くのメッセージや願いを込めたのではないかと思うようになりました。

今回はそんなことをきっかけにして読み取ったメッセージを、1回目は「Someday」の歌詞を、2回目はそのMVを中心にしてそれぞれ紹介し、3回目はそのまとめとして映画本編から読み取れたものを紹介していきたいと思います。

どれも私の視点ですが、「そんな見方もあるんだ~」と思っていただければ嬉しいです^ ^

1、神の不在

では早速、「Someday」の歌詞を見ていきます。

この歌詞の中で最も特徴的なのは、素晴しい世界の到来を願う対象が神ではなく「月」であるという点です。

また曲全体を通してみても、「神」やそれに近い言葉はほとんど出てきません。この曲がノートルダム大聖堂を描いた映画の主題歌であることを考えると、いささか奇妙です。
それと同時に、そこに製作者の意図があるように思います。

この「神の不在」は劇中でも表現されていますので、その描写から「神の不在」に対する製作者の意図を読み取っていきたいと思います。

2、「聖域」とは

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この映画のキーワードの一つに「聖域(sanctuary)」があります。もちろんこれは、神聖な場所=「神のいる場所」です。

しかしそう叫んだカジモドの母親は殺され、「聖域」と一体化しそれを守る役割の司祭は、無力にもその亡き骸を抱きかかえるだけです。

エスメラルダが広場で起きたカジモドへのいじめに憤慨しているときも、司祭は「悪を正せるのは神だけだ」と言ってその場を去る=現状を諦めていますし、フロローが扉を壊してまで大聖堂に乱入した際も、ほとんどなす術もなく侵入を許してしまっています。

つまり、司祭は非常に無力なわけです。あれだけ立派な大聖堂のトップであるにも関わらず。

では、「聖域」なんかは存在しないと、製作者は言いたいのでしょうか?
私は違うと考えています。その根拠は、以下に挙げる2つの場面です。

「聖域」の名の下に、フロローはカジモドをノートルダムに閉じ込めています。
その意図はエスメラルダが教会から出られなくなったときの「大聖堂に保護を求めたとは 牢獄に入ったも同然だ」というフロローの発言に表れている通りです。

しかしその一方で、エスメラルダを火あぶりの刑から救ったカジモドは、エスメラルダを掲げて「聖域だ!」と高らかに宣言し、改めて聖域の存在を強く示しています。

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ここからわかることは、「聖域」を守るも壊すも私たち人間次第、ということなのではないでしょうか。
大聖堂はそこに在るけれども、それをどういう存在にするかは、結局それと向き合う人間次第だと。

3、製作者はどこに希望を見たか

「Someday」にはこんな一節があります。

どんなに辛い日々でも良くなるようにと願う祈りは
私たち皆が 確かに分かちあえること

この歌詞を初めて読んだとき、強い感銘を受けました。

国家や民族や宗教。人類の歴史は、そんな異なる背景を持つ者同士の争いの歴史と言っても過言ではありません。

でもその一人ひとりを見たときに、今日よりも明日が良くなるようにと思わない人間はいないこともまた事実。

それは、うっかりすると見過ごしてしまいそうなことです。

でもそこを拾い上げ、祈ることさえ諦めてしまいそうなときでも希望として私たちを導いてくれることを教えてくれるのが、この一節です。

なんと心を揺さぶるメッセージでしょうか。。

この一節が「Someday」の魅力を凝縮していますし、辛いときでも一筋の希望を信じて行動する、という映画のテーマにも通じます。

MVのこの場面では、カジモドが何かを見つけて嬉しそうに見上げるシーンが使われています。

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このカジモドのシーンと歌い上げている歌唱からも、この一節に希望が託されていることがわかります。

そしてその希望は、神や人智を超えた存在によってもたらされるものではなく、人間同士の間に存在するものです。

ここからも、世の中がどうなるかは私たち次第である、というメッセージに繋がる思いが読み取れるのではないでしょうか。

4、製作者は神の力を認めていない?

では人間次第というメッセージが色濃いこの映画は、神は無力だと言っているのでしょうか?
実はそれに関しても、製作者の考えがはっきり描かれています。

オープニングテーマ「ノートルダムの鐘」であれだけ神の威厳を強調しながら、数々の悪行を働いたフロローに対して劇中に神の裁きがまったく描かれていません。

フロローが掴まっていた手すりが魔物に変化し、火の海へ落下するフロローの最期がそれだと取れなくもないですが、「神の威厳」を示す描写としてはインパクトに欠ける気がします。

そもそもその手すりは、フロローが直前に剣で切りつけた際にひびが入っており、そのせいで折れているのです。
切りつけたときのシーンが一瞬アップで映るのも、そのひびを見ている人に認識させるためでしょう。

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そう思ってオープニングテーマをもう一度聞くと、そこでは「ノートルダムはすべてを見ている」と歌われていて、直接的な裁きには触れていません。
フロローがオープニングで司祭に諭され初めて感じる恐れも、現世の死ではなく死後に訪れる「永遠の魂の責め苦」です。

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以上の描写から、神は「すべてを見ている」が現世において裁くことはなく、それ故現世の神の家である大聖堂(聖域)も絶対的な存在ではないことを表していると思います。
その価値を見出し守るのも、否定して壊すのも、さらにはどう運用するのかさえも人間次第だというこの映画のメッセージが、ここからも読み取れると思います。

フロローが掴まった手すりが魔物に変わるのは、この後に彼を待つ永遠の魂の責め苦を示唆しているのでしょう。

5、「月」が表すもの

さてこれまで見てきたものから最初の疑問点、「Someday」での祈りを捧げる対象が「月」になっている意味を考えたいと思います。
そこには、どんな思いが込められているのでしょうか。

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月とは闇夜を静かに照らす存在です。なのでこの曲での役割の一つは、陽の照らない暗い世の中にも一筋の光を差すものの象徴です。
一筋の希望、と解釈してもいいと思います。

次に。
世界が今後良くなっていくという確信(=太陽)は持てないけれど、良くなっていって欲しいという願いは持ち続けたい。

そんな捨てきれない希望も、静かに光る月には託されていると私は感じています。

あまりの辛さに祈ることができないときでも世界が良くなるように願う気持ちは捨てきれず、その気持ち自体にまた希望を見出していく。
そんな「Someday」のストーリーはあまりにも奥深く、だからこそ私たちはこの曲に惹かれて止まないのではないでしょうか。

最初に「月」が出てくるときよりも2回目のときの方が、力強く歌い上げられています。
「素晴らしい世界が到来するよう 月に願いをかける / Godspeed This bright millennium Let it come Wish upon the moon」の部分ですね。

ここから、そう願うのが例え自分一人であっても諦めはしない、という強い意志が伝わってきます。

それはMVでも、他の3人が後ろを向いてコーラスが無くなる中、赤い服を着たデリアスが一人で熱唱しているところからも感じ取ることができます。

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この場面は何度見ても、味わい深いです。。

そして最後に。
祈りの対象が神ではないことで、素晴らしい世界の到来をただ待つのではなく、そうなるように行動する決意に発展しているのではないでしょうか。

そう思う理由は、次回以降に改めて詳しく説明したいと思います。

ちなみにこの「Someday」を歌っているのは、アメリカのコーラス・グループ、All-4-Oneですが、彼らについてはで詳しくご紹介していきます。

(これは2010年2月に公開した記事を、加筆修正したものです)

「Someday」

Someday
When we are wiser
When the world’s older
When we have learned
I pray
Someday we may yet live
To live and let live

Someday
Life will be fairer
Need will be rarer
And greed will not pay
Godspeed
This bright millennium
On its way
Let it come
Someday

Someday
Our fight will be won then
We’ll stand in the sun then
That bright afternoon
‘Till then
On days when the sun is gone
We’ll hang on
Wish upon the moon

There are some days dark and bitter
Seems we haven’t got a prayer
But a prayer for something better
Is the one thing we all share

Someday
When we are wiser
When the world’s older
When we have learned
I pray
Someday we may yet live
To live and let live

Someday
Life will be fairer
Need will be rarer
And greed will not pay
Godspeed
This bright millennium
Let it come
Wish upon the moon

One day Someday

Soon

いつの日か
人は賢くなり
世界は経験を重ね
皆が思慮深くなる
私は祈る
お互いに尊重し合う
まだ私たちの生きぬ「いつか」が訪れることを

いつの日か
暮らしは公平になり
世の中は満ち足りて
人は欲望に振り回されなくなる
どうか今 世界が
そんな素晴らしい時代へと向かい
いつの日か
私たちのもとに
訪れますように

いつの日か
この闘いは終わりを告げ
私たちは太陽のもとに 誇らかに立つ
輝く陽の光を 一身に浴びて
そのときまで
陽の照らぬ日々の中でも
耐え抜こう
夜空の月に 願いをかけて

時には 暗くて辛い日々もある
祈りの消え去ったような日々が
それでも 良くなるようにと願う祈りは
私たち皆が 確かに分かち合えること

いつの日か
人は賢くなり
世界は経験を重ね
皆が思慮深くなる
私は祈る
お互いに尊重し合う
まだ私たちの生きぬ「いつか」が訪れることを

いつの日か
暮らしは公平になり
世の中は満ち足りて
人は欲望に振り回されなくなる
世界が 今
そんな素晴らしい時代へと向かい
私たちのもとに訪れるよう
夜空の月に 願いをかける

いつか

遠くない日に

(私訳)

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