デリアスとジェイミーが語る、All-4-Oneの軌跡

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All-4-Oneインタビュー記事 その1

8割方訳しつつも、最後の2割につまずいてなかなかアップできなかったAll-4-Oneのインタビュー記事。
もうわかんないところは無理に訳さず、開き直ってそのまま載せることにしました(笑)

いくつか面白い記事を見つけていますが、まずはグループ結成の経緯を詳しく説明している、前作『No Regrets』リリース時のこちらからご紹介します。
(原文はVinyl Replacements

4人が出会うまで

グラミー賞受賞の実績を持つAll-4-Oneのメンバー、ジェイミーとデリアスが、グループが辿った音楽の軌跡を語る

「音楽は心の拠り所であり、私が唯一絶対の信頼をおいているものだ。」
―デリアス・ケネディ

デリアス
「どんな夢を持っていたとしても、それは誰かから受け継いだものだ。もしもそれを他の人に引き継ぐことが出来たら、本当に素晴らしいことだ。」
―ジェイミー・ジョーンズ

ジェイミー
R&BグループであるAll-4-Oneは、ジェイミー、デリアス、トニー、アルフレッドの4人で構成されている。

1993年に1stシングルをリリースし、1994年4月12日にグループ名を冠したデビューアルバム、『All-4-One』を発表した。

デビュー後一貫して、彼らはファンや音楽評論家からグラミー賞を獲得した「I Swear」が、All-4-One最大の特徴だと言われてきた。
しかしジェイミーとデリアスによれば、All-4-Oneとしての音楽活動が友達として始まったことこそ、彼らの特徴にして一番誇らしいことだという。

ジェイミー、トニー、アルフレッドの3人はカリフォルニアで生まれ育った。
音楽が好きで小さい頃から色々な場所でパフォーマンスし、様々なタレント・ショーに出場していた。

「あるコンテストで、トニーとアルフレッドのグループが対戦相手だったんだ」とジェイミーは話す。
「出番の後、彼らの連絡先を聞いた。それからお互いの家に行き来するようになって、友達になったんだ。」

3人のシンガーがお互いのことを少しずつ知っていき、ショーに出てヴォーカルのスキルを磨いている頃、デリアスは歌が好きということに留まらず、それを生業にすることを意識し始めていた。

父親が空軍にいた関係で、デリアスは各地を転々として育った。
しかし6歳くらいから歌い始め、それ以来ずっと歌うことが好きでたまらない彼にとって、住む場所は問題じゃなかったという。

「家のガレージでコンサートを開きながら、来るべき日が来るのを待っていたんだ」とデリアスは語る。

ニュージャージーに住んでいた16歳の頃、歌とダンスで観客を楽しませる遊園地の仕事を見つけた。
デリアスは他の出演者と共に、1週間に5日、計6回のショーを行った。「あの経験が、将来の予行演習になったと思う」と話す。

大学を卒業したデリアスは、住んでいたヴァージニアからLAに引っ越した。移ってすぐに、カリフォルニアのランカスターで行われるコンテストを見つけ、出場することを決めた。

このコンテストでデリアスと、ジェイミー・トニー・アルフレッドの3人が出会うことになる。

その時はまだデリアスを知らなかったジェイミーは、トニーと共に、ポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダーの「Ebony and Ivory」で出場した。

ジェイミーによれば、このコンテストはジェイミー・トニー組とデリアスのダブル優勝で終了したとのこと。

ジェイミーはデリアスの才能に感動して、コンテストの後、ジェイミー、トニー、アルフレッドと一緒にやらないかと、デリアスを誘った。

そのときにジェイミーは、インディーズ・レーベルのA&Rがジェイミーの通う教会に会いに来て、The Tymesが1963年にリリースしたシングル「So Much in Love」のカバーを出さないかという話を持ちかけられていると説明した。
その条件が、グループで歌うことだと。


「ジェイミーは、すでにそのレーベルと契約していると話していた 」とデリアスは言う。
「1ヶ月後に仕事から帰ると、レーベルから電話があり、グループに入らないかと言われた。それが1993年のことだ。その2ヶ月後、「So Much in Love」はシングルとして発売された。私たちが初めてレコーディングした曲で、初めてリリースした曲だ。」

こうして出来た新しいグループ・All-4-Oneは、インディーズレーベルのBlitzz Recordsと、メジャーレーベルのAtlantic Recordsと契約した。

彼らの歌う「So Much in Love」はチャートで5位を記録し、初めてのゴールドレコードとなった。

「I Swear」の大ヒット

1994年4月28日、All-4-Oneは2枚目のシングルとなる「I Swear」をリリースした。


この曲のオリジナルは、カントリー・シンガーのジョン・マイケル・モンゴメリー。
All-4-Oneバージョンはデイヴィッド・フォスターがプロデュースし、各国でチャート1位を打ち出した初めての曲となった。アメリカでは11週連続1位を記録した。

「I Swear」がリリースされて17年、ジェイミーは今でも愛されている曲だと言う。

「歌詞の面においては、多くの人が共感する内容だ。
今でも結婚式の定番の一曲だけど、色々な意味で聞いている人に亡くなった人を思い出させる曲だとも思う。
音楽ビジネスは感情を扱うものだから、リスナーの心の琴線に触れることが重要だ。この曲のメロディは、それが出来たんだと思うな。」

「I Swear」にまつわるエピソードで一番印象深いのは、1996年にクリントン大統領の前で披露したときだと、ジェイミーは言う 。
「クリントン大統領とヒラリー夫人が「I Swear」で踊っているのを目の前で見て、大統領当選のお祝いを伝えてジョークを交わしたなんて、かけがえのない体験だった」と話す。
「All-4-Oneに起きた、一番のことだったよ」と。

デリアスは、「I Swear」が好意的に受け止められたことに感謝しているが、それでも最初はあまりの反響の大きさに驚いたという。

笑いながらこう話す。
「どうして皆がこの曲にそこまで熱狂するのか、理解できなかったよ。
ラジオで流れたときの反応がもの凄かったんだ。皆この曲が流れると涙を流すけど、自分はそうじゃなかったから。
でも、初めてBoyz 2 Menの「End of the Road」を聞いたとき泣きそうになったことを思い出して、皆にとっては「I Swear」もそうなんだろうかと思ったんだ。」

デリアスによれば、「I Swear」はアルバム収録曲の内、最後にレコーディングした曲だったという。

1995年、All-4-Oneバージョンの「I Swear」はグラミー賞を獲得した。ファンに愛されている曲だったので、受賞できたのはとても光栄なことだったと、ジェイミーは話す。

1993年の結成以来、All-4-Oneは音楽面での繋がりだけでなく、その活動の土台に友情があることが嬉しいとデリアスは語る。

グループの音楽に対する情熱は彼らが一緒にいる理由にもなったが、その中でも友情が損なわれずにいることが、とても誇らしいと。

デリアスによれば、メンバーとはたくさんの思い出があるが、中でも気に入っているのが、All-4-Oneの4人が一日遊園地で遊んだときのこと。
そこでジェイミーとデリアスが話していたときに、デリアスは我を忘れて遊んでいたのを思い出したそうだ。

デリアスとジェイミーの出会い

1980年代初頭、デリアスが12歳のときに一家はカリフォルニアに駐在していた。
「そこの少年聖歌隊に所属していたんだけど、ジェイミーの叔母さんがその聖歌隊の責任者だったんだ」とデリアスは言う。

「ジェイミーは当時9歳で、いつも歌っていた。ジェイミーを聖歌隊に誘った彼の叔母さんが、こう言っていたのを覚えている。“この子はいいわよ。きっと大成するわ”。」

デリアスが大学卒業後にカリフォルニアでジェイミーと出会ったとき、ジェイミーがそのときの子供だとは気づかなかった。

しかし公園でジェイミーと話す内に、ふとその記憶が蘇った。

「少しの間ジェイミーを見て、こう聞いてみた。子供の頃に聖歌隊にいた?ってね」とデリアスは言う。

「ジェイミーは、3歳の頃から聖歌隊で歌っていたと答えた。それで何か歌ってくれるように頼んだんだ。
それを聞いたときに確信したね。“間違いない、ジェイミーだ。あの子はジェイミーだったんだ”。」

ジェイミーもその聖歌隊のことを思い出した。ジェイミーのお母さんがデリアスの歌声を初めて聞いたときに、素晴らしいシンガーだと言っていたことも。

「デリアスと公園でその話をして、神のなされることに間違いがないことを実感したんだ」とジェイミーは言う。

デリアスは、彼らのキャリアのごく最初の段階で起こったこの出会いが、その後何年も共に活動していく上でこれ以上ないいいスタートだったと回想する。

2ndアルバムリリース

1995年6月6日、All-4-Oneは2枚目となるアルバム 『And the Music Speaks』をリリースした。

話題を呼ぶため、収録曲からの新しいシングル「I can Love you like that」も同じ日に発売された。


「I can Love you like that」は、ビルボード・チャートで5位を記録し、グラミー賞にノミネートされた。

ジョン・マイケル・モンゴメリーがAll-4-Oneよりも早く「I Swear」を発表して以来、音楽評論家は彼らのことを「カバーのグループ」とレッテル貼りしていたので、この曲もカバーだと決めつけていたとデリアスは言う。

しかし、「I can Love you like that」はAll-4-Oneのオリジナルだ。

デリアスが言うには、「I Swear」も元々はAll-4-Oneが先にレコーディングした曲だった。
しかしレコード会社がモンゴメリー・バージョンを先に発売したと言う。

音楽評論家がAll-4-Oneをカバーのグループと呼ぶのをよそに、4人は初めての2枚のアルバム制作を楽しんでいたと、ジェイミーとデリアスは口を揃えて言う。
(※訳注:1枚目と2枚目のアルバムは、一年という短いスパンでリリースされた)

ジェイミーがAll-4-Oneの曲の中で思い入れのある曲は、 デビュー・アルバムに収録されている「Something about you」だそうだ。
これは元々、「So Much in Love」のシングルのB面として書いたものだという。


「「Something about you」は、プロとして初めて書いた曲なんだ」とジェイミーは説明する。

「そのことを誇りに思ってるよ。この曲が、今自分達がすごいチャンスの渦中(ビッグ・タイム)にいるんだということを実感させてくれたね。」

3rdアルバムから今作『No Regrets』まで

デリアスが言うには、グループが3枚目のアルバム収録に取りかかった際、All-4-Oneの4人には挑戦したいサウンドがあったが、会社はそれとは違う方向を推した。

1999年にリリースされたAll-4-Oneの3枚目のアルバム『On and On』は、彼らが自分たちでプロデュースする権限を持たなかったので、前2作に比べてレコーディングが難航したと言う。

しかし『On and On』リリース前後に、グループは新たな一面を表現したアルバムをレコーディングしていたとのこと。

「私たちは2000年に『Has Left the Building』というアルバムをレコーディングしたんだ」とデリアスは言う。
「これは、ロック、ソウル、R&B色のクラシック・アカペラなど多様な曲を収録したアルバムだったんだ。」

オフィシャルでリリースしたかった収録曲に、「Spanish Bonita」「The Most Beautiful Girl」「With You」などがあるという。

1995年にリリースされたクリスマス・アルバム『All-4-One Christmas』、ライブ・アルバム『Live at the Hard Rockand』、ベスト盤『Greatest Hits』を含め、彼らは1993年に結成以来、9枚のアルバムをリリースしてきた。

ジェイミーとデリアスは、エンターテイメント業界の酸いも甘いも味わってきたと口を揃える。
そして、グループとして喜びも挑戦も経験できたことに、感謝していると言う。

2009年にリリースされた最新アルバム『No Regrets』は、これまでのキャリアを踏まえて、さらに今時点でのAll-4-Oneの信念や価値を象徴しているという点において、重要作だとデリアスは説明する。

『No Regrets』は13曲収録されている。その中には、Donate Life Americaの寄付金募集に使われた「When I Needed an Angel」と「My Child」の2曲のシングルがある。

ファンを大切にしているAll-4-One

ジェイミーとデリアスは、自分たち4人は楽曲を作ることが大好きだが、ライブ・パフォーマンスも本当に楽しみだと言う。

彼らは海を跨いでライブを行っており、ジェイミーもデリアスも世界中にいるファンを敬愛しているとのこと。

「いまだに私たちのファンがいるということが、有難いし心から感謝している」とジェイミーは言う。
「全てのアーティストがそうではないかもしれないけど、私たちは本当に感謝しているんだ。」

自分たちのライブを見ているファンが盛り上がっているととても嬉しいし、その人たちの思い出に残っているということが光栄なことだと、ジェイミーは言う。

All-4-Oneと聞いたときに、どう思って欲しいか聞いたところ、ジェイミーはこう答えた。

「私たちの音楽的才能、そしていつでもファンを愛しているグループとして思い出してほしい。作った音源がその人たちに気に入ってもらえるのが、とても嬉しいんだ。
音楽の才能やファンを大事にしているアーティストと聞いたときに、All-4-Oneを思い出してもらえたらと願っているよ。」

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