ストーリーの詳細に触れています
この記事は、インド映画「オーム・シャンティ・オーム」を扱ったものです。
ストーリーの詳細に触れているので、まだご覧になっていない方はご注意ください。
極上の娯楽映画、「オーム・シャンティ・オーム」
最近、インド映画にハマッてます。
きっかけは友達に勧められた「きっと、うまくいく」を見て。
初めてのインド映画だったのですが、そのメッセージの普遍性さ、ストーリーの緻密さ、歌の素晴らしさ。
つまりは映画としてあまりにも魅力に富んだ大傑作だったので、すっかりファンになりました。
その後いくつかインド映画を見た後に出会ったのが、今回ここで取り上げる「恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム」です。
主演はキング・オブ・ボリウッドの異名を持つ、シャー・ルク・カーン。
美女を絵に描いたような美女ばかりがヒロインを務めるインド映画で、そのキングとも称される俳優があまり二枚目ではなく、最初は正直「…?」という思いもあったのですが(笑)
でも出演作を見るごとにその違和感は薄らいでいき、はっきりと魅力を理解したのが今作、「オーム・シャンティ・オーム」です。
人気はインド国内に留まらず、撮影許可がほとんど下りないベルリンで、彼の人気が凄まじかったために「闇の帝王DON」の撮影許可が下りたという逸話まであるほど。
そんなシャー・ルク・カーン演じる本作の主人公は、前半が70年代の脇役俳優、後半が現代のスーパースター。
古来から続く「輪廻転生」という思想を、現代流に解釈した物語です。
タイトルの「オーム・シャンティ・オーム」は、ヒンドゥー教の祈りの言葉が元ネタです。
オーム・シャンティ(平安)を繰り返す祈りの言葉と、シャンティと二人のオームの物語、というダブルミーニングで、このタイトルが付けられたようです。
(そんなこの映画の豆知識は、日本版公式サイトに詳しいです。どれも初耳で面白いですが、中でも最初のシーンの解説に驚き。
オームとジャケットを取り合っているのが、まさかファラー・カーン監督だったとは(笑))
冴えない脇役俳優で道化でもある前半と、貫禄たっぷりなスーパースターの後半。
途中、セクシー・ミュージック・シーンも交えつつ、最後には愛する女性の仇を取ろうと真摯な愛を体現するオーム。
今作の主人公は、いくつもの側面を持っています。
その全てを幅広い演技力で観客に納得させてしまうところがまた、この映画でシャー・ルク・カーンが見せる大きな魅力でもあるでしょう。
加えて演出の見事さ。
スターのオームがシャンティの楽屋に入って記憶が蘇るシーンは、震えるほどかっこいい。。
最後のミュージック・シーン「オーム・シャンティ・オーム物語」の中で、サンディがムケーシュを惑わした後に、本物のシャンティが映っていたり。
まぁこの映画の素晴らしい点を挙げていったら最初から最後まで全てに触れることになるので(笑)、その中でも特に取り上げたい、ラストシーンの解釈にいきたいと思います。
あのエンディングはハッピーエンド?
この映画のキーワードの一つに、全ての映画はハッピーエンド、があるかと思います。
ハッピーじゃなければ映画も終わらない。“続く”です、と。
しかし実際の「オーム・シャンティ・オーム」の結末は、ハッピーエンドといえるのでしょうか?
確かにオームが願っていた通りシャンティの仇は取れましたが、曖昧にされていたシャンティの行方は残念ながらやはり死でした。
そのせいで、結局オームがあれほど恋焦がれていたシャンティへの思いは、とうとう最後まで実らずに終わります。
視線こそ交わしますが、触れることすらありませんでした。
何度も見る内に、こんなの全然ハッピーエンドじゃないじゃん!と辛くなったものです。
でも、、
全ての映画はハッピーエンド、というのが「オーム・シャンティ・オーム」の重要な台詞なんだから、きっとこの映画自体もハッピーエンドのはず。
そう信じて、自分なりにこの映画がどうハッピーエンドなのかを考えてみました。
シャンティとオーム、サンディとオーム
一番わかりやすいハッピーエンドといえば、サンディがシャンティの生まれ変わりだった、という設定でしょう。
でも残念ながら、それを明示するようなものは一切出てきません。
では、サンディとシャンティの間に繋がりは無いのでしょうか?
その結論は最後に出すとして。
まずはシャンティとオームの関係と、サンディとオームの関係を見比べてみましょう。
オームは元々、シャンティの熱烈なファンでした。
それはつまり、シャンティの内面に惹かれたわけではなく、あくまでも見た目の美しさ、女優としての素晴らしさに恋していたわけです。
憧れに近い恋だった、といってもいいでしょう。
対してサンディには、シャンティを彷彿とさせる時こそ生き写しの外見を慈しんでいますが、内面の違いに徐々に苛立ちを露わにします。
そしてサンディをバカ呼ばわりするまでに至ります。
周りの説得もありサンディに事情を説明しますが、どうせ信じてもらえない、と最初から諦めモードなオーム。
そのときのサンディがかっこいい。
「なぜ決めつけるの?」と、毅然と反論します。
サンディ自身、オームの熱烈なファンだけに、この対応には見ているこちらもハッとさせられますよね。
サンディはオームを憧れのヒーローとして見ているだけでなく、一人の男性としても向き合い、言うべきところはしっかり自分の意見を言っているわけです。
この夜のシーンは、二人が恋人になったとは描かれていませんが、それに近い感情が芽生え始めていることを感じさせます。
そしてラストシーン。
オームが懐かしさや愛しさなど、色んな思いでシャンティと見つめ合っているところに、サンディが割って入ります。
一緒に部屋に入ってきた付き人のアンワルや親友のパップーはほとんど映らず、サンディだけがこの重要なシーンに出てくることで、サンディがただのそっくりさんに留まらず、オームにとって大切な人になることが暗示されているように思います。
シャンティはオームと会う前にムケーシュと知り合っていたために彼と結婚していましたが、もし先にオームと出会っていたら、きっとオームを好きになっていただろうなと感じさせるシーンはいくつもあります。
運命のイタズラでそれは果たされずに終わりますが、生まれ変わったオームとシャンティは、新たにオームとサンディとして、きっとぶつかり合いながらお互いに理解を深めていって、本当の愛を育んでいくのではないでしょうか。
そんなことを思わせるこのシーン。
そして映画本編には描かれていない想像の未来までを含めて、この映画は完結するのでしょう。
そう思ったときに初めて、この映画がハッピーエンドだということが理解できました。
では最初の疑問だったサンディとシャンティの間の繋がりは、あるということになります。
何故それがわかるかって?
そうじゃないとこの映画がハッピーエンドにならないからです!
というと逆説的ですが(笑)
でもそれも含めて輪廻を題材にした映画ということで、私の中では納得しています^ ^
Blu-rayの特典ディスクに、来日した時のファラー・カーン監督インタビューが収録されています。
その中で、輪廻転生はあると信じていますか?という質問に、あってほしいと思う、と答えています。
この監督の答えが、サンディがシャンティの生まれ変わりだと結論づけた私の気持ちにも重なります。
そうだという確証はないけど、そうであってほしいという希望も込めて。
他の想像と、宝塚公演と
最後に触れておきたいのが、ラストシーンでシャンティを見つめるオームの眼差し。
この映画のもう一つのキーとなる台詞に「心から何かを望めば、世界中が味方してくれる」があります。
きっとオームは記憶を取り戻した時点で、心の底からもう一度シャンティに会いたいと願っていたのではないでしょうか。
そう願うシーンが映画の中で一切描かれていないので、このときのオームの姿で初めて秘されていたその想い、そしてその深さに気づきました。
感動しないわけがありません。。
シャンティに向かってオームが手を伸ばしたところでサンディが駆け寄ってくるのは、そこにオームの幸せがあるってことなのかな。
「その手を伸ばしてごらん。欲しい物が手に入る。幸福のほうで君を選ぶよ。(by脇役俳優オーム)」
一見しただけで最高に楽しめる娯楽映画なのに、そんな風に想像や解釈の余地がいくつもあるところがまた、この映画の凄さでしょう。
先日、この「オーム・シャンティ・オーム」が宝塚で上演されることになり、それに合わせてファラー・カーン監督が来日していました。
元々振付師をしていた監督が絶賛するくらい、宝塚公演も素晴らしかったようです。
ちなみにこの「オーム・シャンティ・オーム」は、女性監督には娯楽映画を撮れないという業界の常識を覆した作品でもあります。
ファラー・カーン監督、かっこいいなー。
とにかく語りつくせないほどの魅力を持つ「オーム・シャンティ・オーム」。
今後も見返していく中で、きっとまた新たな発見に遭遇することでしょう^ ^